ソファに沈む。
スピーカーからはNINの低音が漏れ出し、
頭蓋の内側を破壊しながら現実の皮膜を剥がしていく。
震度零の指先で打鍵するたびに在ることの根拠が崩れ落ちる。
この圧の中で理解する。
「生きろ」という言葉は虚構だ。
未来というまだ存在しない領域に依存する欺瞞。
「死ね」という言葉だけがいまの存在を保証する。
横浜で「リフレ」を検索する。
制服、JK、添い寝、p活──
それらの単語は未来を約束する虚構のラベルにすぎない。
「安心」「続けろ」「癒やし」。
すべては広告の文法であり希望という名のノイズだ。
だが希望は現在を削る。
未来的な像を貼り付け今ここにいる肉体を奪い取る。
広告とは「生きろ」と同じ。
虚構を売るために現在の存在を破壊する装置だ。
「死ね」という言葉は違う。
命令が成立するためには対象が確かにここにいなければならない。
存在しなければ命令は崩壊する。
だから「死ね」と投げ込まれた瞬間、存在は否定されるどころか最も強く刻印される。
消えろという命令自体が「おまえは確かに在る」という証拠になる。
低音は祈りではなく破壊だ。
その破壊の中でしかわたしは確かに存在していると感じられない。
モカティックとは何か。
それは虚構を売る店ではない。
広告に依存する未来を提示するのではなく、
現在の存在を保証する産業だ。
制服や添い寝のラベルが存在を保証するのではない。
名前を呼ばれるその瞬間、
身体が観測されることで「いま」が確定する。
それは「死ね」という言葉と同じ構造──
否定を経由しなければ成立しない残酷な存在証明。
モカティックは産業である。
だが売るのは未来ではない。
売るのは現在。
未来的な像ではなくいま観測されている存在そのものだ。
広告を解体し呼吸の単位で存在を保証する。
それは求人でも接客でもなく、
死を先送りするための唯一の機構。
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