🜋誰にも奪われない自己定義──自撮りとクリエイションの最前線

可愛いは武器じゃない。武器を可愛く見せているだけだ。 笑顔だけでは生き残れない時代に、誰にも消費されない私を提示するための思想とスタイル。 自撮り、クリエイション、そして手を汚す覚悟の記録。

何故リフレ店がこんなテキストを書く?
普通なら可愛い衣装や働きやすさを並べれば十分だろう。
けれど、それだけでは戦時下の都市で「ここにいていい」という証明にならない。

in the darkest place I saw you smile

誰もが暗闇に閉じ込められているこの都市で、
その笑顔が唯一の光になると知っているからだ。

あなたが店で「これかわいい」と手に取るその一瞬は
何千人ものマーケターが設計した一本道の終着点にすぎない

——その「かわいい」は誰の声だ?
——「似合う」という基準は、いつ、どこで、誰に埋め込まれた?
——今日の欲しいは昨日の見せられたの変形ではないのか?
——好きと便利をあなたは区別できているか?
——今っぽいを採用するたびにあなたの古くならない核はどこへ行く?
——選択肢から選ぶことと基準そのものを作ることは同じか?
——その鏡の前で頷いたのはあなたか最適化されたあなたか?
——「推されたい」と「見られたくない」はどこで同居している?
——ラベルを剥がしたあとに残る名のない輪郭を誰が見た?
——タグのないあなたをあなたはまだ愛せるか?
——似合うは身体の手触りか他人の期待の温度か?
——正解の角度はあなたを救ったか封じたか?
——スクロールで起きた感情は生成か再生か?
——「これでいい」は妥協か完成か?
——笑顔は表現か手続きか?
——沈黙は逃避か主張か?
——売れるは正しいと同義か?
——フォロワーは友か数字の衣装か?
——同調はやさしさか訓練か?
——新しいは刷新か更新の演技か?
——あなたのいつもどおりは誰の都合に沿っている?
——気分は所有物か供給物か?
——いま考えているテーマは自分で選んだのか与えられたのか?
——撮る自由と撮らない自由は同じ重さで手に乗るか?
——残す勇気と消す勇気はどちらがあなたを守った?
——「これも私」と言うとき何を救い何を切り捨てた?
——欲望は翻訳か発明か?
——あなたの違和感はノイズか設計外の入口か?
——「その日その服」を決めたあなたは確かにそこにいたか?
——似合わないと呟いた自分を次に誰が慰める?
——同じ構図の反復は練習か固定化か?
——いつもの加工は仮面か鎧か?
——あなたの好きを利害のない場所で発音できるか?
——可愛いは通貨か告白か?
——私らしさは証拠か商品か?
——基準を作っているのはあなたか相場か?
——誰にも見せない自撮りはなぜ必要だった?
——「わからない」で止まる勇気を今日持てたか?
——もっといい私は誰の方角にいる?
——あなたの明日は予約済みか未開拓か?
——この問いのどれにいま息が詰まった? それが外側だ。

ここまで問いを重ねてはっきりすることがひとつある。
定義の外注をやめるしかない。

自分は自分で定義する。
用意された選択肢から選ぶのではなく基準そのものを置く。
その最短距離が自撮り。

自撮りは軽くない。
笑顔の訓練でも承認の練習でもない。
「提示したい私」を私が決める速度で世界に差し出す行為。
残すために撮る。ときには残さないために撮る。
消した1枚にも定義の権利がある。そこに私の編集権が宿る。

だが一枚は点。点は消されやすい。
だからクリエイションが必要になる。
点を線に、線を面に、面を規範に変える。

・文章で角度の理由を書く
・音で沈黙の温度を再生する
・映像で不可視の手触りを見える化する
・服で身体の可動域を拡張する
・日常で選び方の地図を塗り替える

繰り返し提示されたあなたの基準はやがてあなたの様式になる。
様式は真似される。真似は拡散する。拡散は相場に食い込む。
すると市場はあなたに合わせて微妙に曲がる。
選ばされる人から曲げる人へ。
これは神話ではなくメカニズム。提示→反復→様式→相場。

ここでお金と市場の話を避けない。
価格は支配ではない。翻訳だ。
「これが私だ」という提示を「どの重さで受け取ってほしいか」に訳す装置がお金だ。
払われた額は作品の良し悪しの絶対値ではなく関係の厚みの単位だ。
だから売れる=従うではない。売る=基準を持ち込む。
成行で相場に身を委ねるのではなく指値で世界に提案する。
値段はあなたの基準の短歌だ。ここに誰にも決めさせないが宿る。

✝️

ここからはわたしと行こう。
わたしは観客ではない。※手を汚す側だ。
問いを積む。基準を置く。点を線にして線を制度にする。
あなたが提示した私が消費されずに残る構造をわたしと書き換える。

——今日あなたは何を選ばされた?
——明日あなたは何を選び直す?
——どの瞬間に「これは私だ」と指値で言える?
——どの一枚をどの言葉でどの価格で世界に定着させる?
——その基準にあなたの呼吸は入っているか?

誰にも決めさせない。
問いは終わらない。
だからこそ定義はあなたの手から離さない。
そしてわたしと。

✞✟✝️

※「手を汚す」というのは比喩だけどここで言いたいのは二つ。

  1. 綺麗な観客で終わらないこと

批評したり遠くから「わかるよ」と相槌を打つだけなら手は汚れない。
だけどそれは安全圏に立つことでもある。
本当に「自分を定義する側」に立つなら
嫌われるリスクや間違う恥や傷つく痛みを引き受ける必要がある。
そのとき比喩として「手が汚れる」。

  1. 既存のシステムを触ってしまうこと

市場、お金、承認欲求、アルゴリズム。
「私は関係ない」と言い張るのは簡単だし綺麗だ。
でもそれでは相場も流れも変わらない。
むしろ本当に自分で定義するならその仕組みに触って
ときには利用しときには壊して自分のものにしていくしかない。
それが「手を汚す」。

哲学的に言えば
「手を汚す」とは純粋さを諦める覚悟。
無傷では自分の基準を世界に通せない。
だからわたしは観客じゃなくあなたと同じように汚れる側にいると宣言した。

救済とは祈りではなく検出されない一秒の呼吸。
SNSに記録されない笑い声、アルゴリズムに換算されない涙。

in the darkest place I saw you smile

その一瞬のためにわたしたちは場所を作り続けている。

自撮り #スタイルの戦争 #存在を定義する #自己表現 #消費されない私

都市は設計されている #承認欲求の檻 #アルゴリズムの罠 #無傷では生きられない

手を汚す覚悟 #クリエイションの必然 #市場とお金 #認知の前線 #SNS戦場

虚構と現実の間で #誰にも消費されないために #思想系リフレ #横浜リフレ #モカティック

新メンバー募集 #未経験歓迎 #高収入バイト #アイドルバイト #推されたい

救済は検出されない #名前のない残響 #存在の証拠 #都市のノイズ #自由という錯覚

涙だけは本物 #哲学とバイト #現場感 #思想の現場 #横浜女子

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