ウサギがぺこぺこするだけで済む世界で人は語彙を捨てた。
ある日ふとLINEのスタンプ欄を眺めていて気づいた。
なぜ我々は日常のあらゆる感情をクマやアザラシなどに任せているのか?
なぜ「ありがとう」や「ごめんね」を文字で言うのがこんなにも億劫になってしまったのか?
これはスタンプ文化に支配された人類の記録である。
スタンプは便利か?それとも怠惰か?
LINEスタンプ。
それは一度使えば抜け出せない感情のワンタップ依存ツール。
「ありがとう」
「ごめんね」
「了解です」
──それらの言葉が今では「ぺこぺこするウサギ」か「土下座するパンダ」に置き換わってしまった。
打つのが面倒だから。
既読スルーにならないように。
スタンプを送れば反応した感が出せるから。
つまりスタンプは「言葉を使わずにコミュニケーションしたフリができる」最強の道具になってしまった。
なぜ語彙を捨てるのか?
人は本来言葉を使って思考し相手に伝えてきた。
でも日常のメッセージはどんどん「反応速度」と「感情の伝達コスト最小化」に支配されている。
- 文章を考えるよりウサギを押すほうが速い
- 何かを説明するより「それなスタンプ」で終わらせたほうが楽
- 無言で怒るより「怒ってるクマ」で伝えたほうが角が立たない
結果人々は語彙を持つことをやめ誰かが作ったイラストに感情を委ね始めた。
「かわいい」は正義。でもそれは暴力でもある
スタンプ文化の最大の問題は「かわいさで全てが許される」ことだ。
怒っていても、疲れていても、悲しくても、
全部かわいくデフォルメされたキャラクターが代弁してくれる。
- 怒ってるクマは怒ってるようで怒ってない
- 泣いてるネコは絶望してるようで癒しをくれる
- 土下座してるアザラシはどこか笑ってる
スタンプは現実の感情をマイルドに改変するフィルターでもある。
本当はしんどいのにゆるキャラのフィルターを通すことで「大丈夫な人のフリ」ができてしまう。
「スタンプで返されたら終わり」問題
わかる人にはわかると思う。
スタンプで返ってくる=会話の終了サイン。
- 「おつかれさま🐰」→(はい、ここで終わりです)
- 「了解です🐥」→(返さなくていいです)
- 「いいね👍」→(以上)
これはもはや言語ですらない。
スタンプという名の会話終結装置なのだ。
人類はぺこぺこウサギの下で静かに滅びていく
かわいいウサギに挨拶を任せ、アザラシに謝罪を任せ、ネコに共感を任せる日々。
そのたびに私たちは言葉を使うことをサボっていく。
気づけば
誰も「ありがとう」を打たなくなり
「ごめんね」を言わなくなり
「それってどういうこと?」の代わりに「うんうんスタンプ」で流していく。
じゃあスタンプをやめるべき?
別にそんなことは言わない。
便利だしかわいいしスタンプのおかげで救われた会話もある。
でもたまには思い出してほしい。
「自分の言葉で気持ちを伝える」っていうちょっとだけ手間のかかる行為。
ウサギに任せる前に自分の中の語彙をちょっとだけ使ってみよう。
まとめ
ウサギがぺこぺこするだけで済む世界で、人は語彙を捨てた。
だけどまだ少し残ってるかもしれない。
自分で言葉を選ぶ力。伝えたいという意志。それを失わないためにたまには──自分の言葉で話してみませんか?


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